坂の上の y=f(x)
誠に小さな大学生が開化期を迎えようとしている
ある先生がこんな事を言った。
論文の提出に迫られてる時だった。
「アウトプットをyインプットをxとすると
y=f(x)
(y=axの1次関数のようなもの)
となる。しかしyは目に見えるがxは目に見えることはできない。yは論文でxは論文の準備にかけた仕事量。僕はみんながどれだけ論文に時間を費やしたか観察する事はできないけど、できた論文は見る事ができるよね。だからいい論文って事はそれだけxが多いって事になるから論文で評価をつける!ハハハハハ」
この教授は良く笑う。
それは置いておいて、
y=f(x)
というのは実にシンプルっとこの大学生は思った。
しかしこの大学生のfはどれだけなのかっと考えた。0ではない、しかし0に近い値なのではないか。
部活でもそうだった。xという練習量を人より増やしてやっと追いつく、というように。
一方fの値が1以上であればyは大きくなりやすい。そういうタイプも部活にいた。
この大学生は「自分はこのタイプではない」と確信している。
だから人よりも多くやらないと人並みにはなれない。だからやるという事であろう。