坂の上のないものねだり
誠に小さな大学生が開化期を迎えようとしている
この大学生は今商社の本を読んでいた。
色々な商社マンが自分のエピソードを語っているいわば
業界研究といえるのではないか。
この若者は英語が達者ではない。
しかし、商社には英語が必要だった。
そこでこの若者は英語学校を調べた。
ないものねだりである。
ないものはない、であるならばあるものはある。 至極真っ当なことである。
あるもので戦う。それが戦じゃ。
またメンタリストのダイゴはないものねだりは良くないっと言っていた。意識ばかりが先に行ってしまい物事への意欲が消えてしまうそうな。
思い返せば、この大学生は意識高い系といえるが、なにかを成し遂げたわけではない。しかし自分の足りないものを埋めようとして大学の時に得たものはスポーツへの知識だった。
この大学生はスポーツが苦手であった。だが唯一得意なある競技のレベルを上げるため、必死に知識を詰め込んだ。
そして、体育学部の基礎レベルは習得した。
これが自分の結果に活きたといわれると少し困る。なぜなら、この大学生はもうすでに部活を引退してしまっている。
だが後輩への指導の時に感覚でものを言わないように心がけた。
なぜ疲れるのかも説明ができるようになった。
感覚というのは口にすると擬音語で終わってしまう。っとこの大学生は考えている。
だからその感覚を理論化して文字に起こし、他者と共有することができればその時に説明できたっということになるのではないか。
なるほど。得たものはあった。ないものねだりをして行動をした結果今の自分がいる。
必死に調べ、人に聞いて、確認する癖がついたのかもしれない。